歴史ロマン



 
 朝日町で祖先の遺物として出土発見された最も古いものは、弥生時代のもので、埋縄北谷遺跡などから土器片が出土しています。当時は稲作が行われ、米などの食物を蓄える壺、食物を盛る坏、米を煮る甕など、いろいろな土器がつくられていたようです。その後、共同体の形成、支配者の出現により権威の象徴として古墳が数多くつくられる古墳時代が訪れます。この時代には土師器と須恵器とよばれる土器の併用がみられ、町内の丘陵地帯からも、多くの土器が出土しています。
 

日本書紀
 壬申の乱(672年)は、天智天皇の弟・大海人皇子と子・大友皇子の皇位継承をめぐる争いです。大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱で通過したルートには、縄生廃寺のように大和川原寺式軒丸瓦が出土する古代寺院が点在し、壬申の乱に協力した地方豪族と中央との強い結び付きが考えられています。また、大海人皇子が壬申の乱の時、伊勢神宮を遙拝したという「迹太川」は朝明川とする説もあり、大海人皇子が朝日町周辺を通過したとも考えられます。


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