橘 守部
橘守部肖像 (群馬県立文書館蔵)


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守部著 『萬葉緊要』




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守部愛用 豆斑硯
 
 
 守部は、江戸時代の国学者です。国学とは、古典を研究することにより、日本固有の生活や精神を理解しようとする学問で、その代表として、松阪の本居宣長がよく知られています。守部は、天明元年(1781)小向に生まれました。守部の父飯田長十郎元親は、亀崎、金井などの村々を支配する大庄屋格で、津の国学者、谷川士清の門人であったといわれています。17歳のとき、一家離散のため江戸に下り、20歳を過ぎてから学問を志すという、当時としては晩学でした。その後、武州幸手(現在の埼玉県幸手市)に居を移し学問に励み、49歳の時、再び江戸に戻りました。当時の国学界が本居宣長を中心とした学説が主流であったのに対し、守部は宣長の学説を批判し、独自の学説を展開しました。
 
 『稜威道別』『稜威言別』など多数の著作があり、その業績は、香川景樹、平田篤胤、伴信友とともに「天保の国学四大家」の一人に数えられています。
 



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