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縄生廃寺は、江戸時代から「金光寺跡」として知られ、戦前には土取りの際に瓦片が多量に出土したと伝えられていました。昭和61年9月から翌年3月に行われた発掘調査で、その出土した軒丸瓦などから、7世紀末から8世紀初頭に造営された白鳳時代の古代寺院塔跡の存在が確認されています。 塔は東西10メートル、南北10.2メートルの基壇(建物の台の部分)上に建てられ、基壇部分は地面を削りだし、瓦を積んだ「基壇化粧」とよばれる建築方法が施されていました。心柱(塔の中心の柱)は、上面から1.5メートル程掘り下げて置かれた心礎(心柱を支える大きな礎石)の上に建てられた「地下式心礎」となっています。 また、縄生廃寺から出土した3種類の軒丸瓦のA種は大和山田寺、B種は大和川原寺の軒丸瓦によく似たもので、創建時期の判断の決め手となりました。 |
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塔の心礎中心の舎利孔(小さな穴)から、唐三彩椀をともなう舎利容器(釈迦の骨といわれる「舎利」をおさめるもの)が発見され、日本で最も古い例の一つとして、平成元年に国の重要文化財に指定されました。舎利容器は、約2センチメートル程の鉛ガラス製の卵形容器で、ろくろ挽きの滑石製有蓋壺(外容器)内中央に直立した状態でおさめられ、その上から唐三彩椀が伏せて置かれていました。唐三彩は、7世紀後半から8世紀前半に中国でつくられた黄・白・緑三色の美しい陶器で、この唐三彩の出土は、舎利容器とともに北勢地域の古代を考察する上で貴重な資料となっています。 |
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