東海道


 
 慶長6年(1601)の東海道宿駅制度に基づき、全国の交通路が整備され、東海・東山・北陸の三道が修理される際、一里ごとに塚を築き、その上に榎を植えて道標としました。縄生は、桑名の七里の渡し、西富田庚申橋の一里塚から一里の地点にあり、両側に塚が築かれ、榎が茂って道中一番見事だったといわれています。
 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場した朝日町は、東海道の桑名宿と四日市宿の間にあり、往来する旅人たちを相手にした名物焼き蛤売りの茶屋やかご屋がいて、当時は大変なにぎわいを見せていました。

 



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町屋橋跡
江戸時代には、川の中洲を利用して大小二つに分かれていた町屋橋。


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浄泉坊
浄土真宗本願寺派。大名が駕籠を降りて黙礼したと伝わる寺。
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西光寺
浄土真宗大谷派。安永6年(1777)の銘のある梵鐘があります。
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井後神社
境内に滋賀県の多賀神社の祭神を祀った神社。


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